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<再生への旅4 > 地震後の避難生活

 

 

シリーズ化して<再生の旅>となった

2016年熊本地震からの流れを綴っております。

 

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(これまでの記事)タイトル、クリックすると記事に飛びます。

 

vol. 00 新たな旅のはじまり、はじまり☆

vol. 01 宇宙の采配~すべてはなるようになっていく

vol. 02 熊本地震と母の還暦

vol. 03 熊本地震・本震の日 

 

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<再生への旅シリーズ *

地震後の避難生活

 

 

 

北九州に行くのに、所々、混んではいたものの

思っていたよりもスムーズで

かかった時間は、3時間程度。

 

 

 

 

その日の夜、実家の父が、

 

「熊本の家族も全員、こっちに避難した方がいいんじゃないか?

何かあってからでは遅いんやし。」というので

 

 

夫に伝えると、

 

「気持ちはありがたいけど、

従業員がみんなこの状況の中、休む暇なく働いているのに

従業員とその家族を置いて、ここを離れる訳にはいかない。」 と。

 

 

 

本音は、避難してほしかったけど

それ以上は何も言えず。

 

 

 

余震がやまない状況で

このまま、熊本の家族は大丈夫なのか、

友人・知人はみな無事なのだろうか、

幼稚園の子どもたちや先生方は無事なんだろうか・・・

 

そこにいない分、

気になって気になって仕方ありませんでした。

 

 

 

 

ひとまず、家族全員が無事だったから

後のことは、これから考えればいいと思いつつ

 

1週間経って、熊本に戻ったとして

自宅内はとても生活できる状態ではないし

片付くのに、どれくらい時間がかかるんだろう、

その間、娘はどうしよう・・・

 

思考が止みません。

 

 

 

 

(避難した)翌日、

実家の母が、ふと、思いついたように

 

「ユチウォン(わたしの卒園した幼稚園)に

状況話せば、数日だけでも受け入れてもらえるかもしれないから

連絡してみれば?

 

あの子も、ずっと、ここでこのまま待機していても退屈だろうし、

おとなが落ち着かない状況の中で過ごすより

あの子にとってもいい気がするよ。」と。

 

 

そんなこと、思いもつかなかったので

「あっ、その方がいいかも。」と、幼稚園に連絡すると

 

今日からでも明日からでもどうぞ。

と、快く受け入れてくださいました。

 

 

 

この時は、まさか、

ここで卒園式を迎えることになるとは露知らず。

園の先生方には、いまでも感謝しかありません。

 

 

 

避難生活から数日して、

 

夫から連絡で、コンビニにも商品がなくて

食料と水が足りないという状況を知り

ふと、近くに住んでいる同級生に連絡を取りました。

 

わたしたちは、同級生同士の夫婦なので

わたしの同級生は夫の同級生でもありました。

 

 

 

連絡を取ると、彼は

「Y(夫)に会いに行ってくる。

こっちで車に積める分の食料と水、用意して持っていくから。」

と、 言ってくれます。

 

彼にもパートナーがいて子どもがいるのに

そんな風に言ってくれた友人に

ただただ、感謝することしか出来ませんでした。

 

 

 

「仕事終わって、夜、こっち出る」というので

 

父から、頼まれて渡して欲しいものがあるから

行く前に渡しに行っていいか尋ねると

友人は、「そっち行くよ」と、

わざわざ実家に寄ってくれることに。

 

 

夜まで時間があるので、

急いでファストファッション店に行って

義家族の肌着や服を1週間分、

洗濯しなくても着替えられるよう買い込んで

一緒に届けてもらうことに。

 

 

 

娘が、

アッパにお守り作ったから、

これも持って行って欲しい!と

手作りのお守りを見た時は涙が出そうになりました。

 

 

 

友人は

ただでさえ仕事が忙しくて

時間がないだろうに

 

睡眠時間削って、労力使って

同級生というだけで動いてくれて

 

私は、ここまで出来るだろうか。と

今でも思います。

 

 

 

 

私の周りには

一見、そうは見えなくても

あつい人たちが多くて

知らない所で支えてくれたり守ってくれたりしていて

 

ここでも、また

感謝しかありませんでした。

 

 

 

 

 

つづく。