Op. 30.05.2020-2

 

画像は、昨日のひとこま。

 

夕暮れ時の空が好きである。

沈みゆく太陽が生み出す色彩のグラデーション。

美しさを感じない人はいるのだろうか。

 

 

自然は無為でありながら存在感がある。

存在するとは

そういうものなのではないかと個人的には思う。

 

ケン・ウィルバーさんじゃないけど

存在することほどシンプルな事はないようにも思う。

 

存在意義が必要だろうか。

世間は、なぜ、あんなにも騒がしいのだろうか。

口を閉じることを知らないのだろうか。

 

沈黙は金なりということばを考え出した人はすごいと思う。

沈黙以上の豊かさがあるだろうか。

と思うのは私だけだろうか。

 

 

 

 

先ほど、心理の師匠から電話をいただいた。

北九州でのコロナ第2波現象を心配して。

お気遣いがありがたい。

 

おませ過ぎる娘と会って欲しいから

コロナ静まったら、遊びに行かせてくださいとの

口約束。実行されるのかは未定。

 

だけど、娘には、いろんな人に会わせたい。

どんな人が心の大切さを知っているのかという

基準値をつくる土台をつくるために。

 

 

人間関係の質と人生の質は比例する。

響き合いのない関係性は人生の質を落とす。

 

人生の豊かさを象るのはお金ではない。

出逢いである。その対象が何であれ。

ここだけは断言できる。

 

 

お金がないことで荒れることもある。

お金が在り過ぎることで腐ることもある。

 

しかし、お金はお金でしかないのに

なぜ、あんなにも価値あるものになっているのかが

私には理解不能である。

 

とはいえ、基本的な生活をしていける分はないと

困るのも確かなのだけど。

 

こういうのは、

お金を生み出している人が言って、はじめて

そこに、質量がかかってくるのだろうか。

わたしが言ったところで、なんの響きもないように感じる。

 

 

 

感性と感覚の両輪で

日々を大切にしよう。

と、ふと、いま思う。

 

 

現在時点午後2時前。

あと数時間で

贅沢過ぎた独り暮らしが終わっていく。

 

 

 

昨年春から、この1年、

親友たちと妹たちには感謝してもしきれないほど

支えてもらった感がある。

ありがたい。

 

 

娘とも、また、「いまここ」を大切にしながら

日々を紡いでいこう。

 

 

↓これ、妹が楽譜持ってたような気がする。今度、借りよう。