Op. 31-05-2020 アインシュタインの言葉など

 

目まぐるしさの中をただただ必死に生きていたような

この1年間は

ある種の「特別」な時間枠にいたのだろうと思う。

いま、やっと、落ち着いて、そう言えるような気がしている。

 

昨日は、ようやく頬をビンタされまくった後のような

ヒリヒリ感もなくなり

からだが、とても軽やかですこぶる調子がよかった。

それに伴い、こころも

いつにも増して軽やかだったように思う。

 

 

心身一如(しんじんいちにょ)。

日本語には、いいね!を連打したくなるような

素敵なことばがたくさんある。

 

 

 

 

心身が軽やかだと、関係性を流れている

エネルギーラインもクリアになるのか

それとも偶然なのかを知る術はないが

心理の師匠や娘の父親から電話が入り

またひとつ前に進むような感覚があった。

 

 

 

夫であった人と夫婦を解消した後の方が

コミュニケーションがスムーズという皮肉な感じはあるけれど

これくらいの距離感でちょうどいい相手なのだろうとも思う。

 

彼の頭のよさと心根の純粋さがもっと活かせるよう

のびやかに羽をのばせるよう

私に出来ることは何かと考え続けた夫婦時間だった。

 

今思うと、逆に

わたしの器を育ててもらったような時間だった気がしている。

でも、それは、いまだから言えること。

円満に別れを選択したからこそ

言える事であるのは確かである。

 

 

いま、心から

そう言えていることに幸せを感じる。

 

そして、

彼が、いまでも大切な人であるのに変わらない。

きっと、一生、そうであろうと思う。

 

彼との結婚がなければ、今の私は存在しないし

娘にも出逢えていない。

 

 

 

縁とは不思議なもので、

出逢いと別れを繰り返していく。

大波小波をつくりながら。

 

深まる縁があれば

遠のく縁もある。

 

 

 

 

画像の本は、まだ関東にいた頃に買った一冊。

この頃に選んだ本たちは、今のように、すぐにネット検索して

情報を得たものではなく、本屋に毎日のように通い

そこから、ふと気になるものを直感で選んだものばかりで

いつ読んでも、その時々に、響くものがある。

 

20代の私がマークしたであろう箇所は

40代に突入した私が読んでも変わらずに響く。

より深い層で響いている感覚がある。

 

娘が読んでもなにか感じるものがあるだろうか。

それとも、また、

頭レベルで永遠に自論を展開し出すだろうか。。。

 

娘の頭の回転の速さは

きっと父親譲りであろう。

弁が立つ人を相方に選んだおかげで

少しは私も弁が立つようになったであろうか。

 

 

彼は彼で、親に孫の顔を見せたいであろうと推測する。

もう少し、状況が落ち着いたら、熊本に行こう。

娘が熊本の家族と会っている間、

私は大好きなセレクトショップVULCANさんに行くことにしよう♪

 

ひとつひとつ、物事を完了させると

いろんなことがスムーズに流れ出す。

下水道も錆が酷いと工事が必要になってくる。

きっと私はいろんなものを地下にしまい込み過ぎていた。

器以上のものを。

 

 

水路は頑丈でなくては。

水源はきれいでなくては。

そして、

水の流れが淀まないようにしなくては。

 

その方が自由度は高いし、軽やかに前に進める♪

 



昨日、心理の師匠が電話をくださったのは

コロナだけではなく、

私の状態を気にしてくだってのこと。

 

いつも私が何かある度に相談的に連絡していて

先生から電話があることは無いに等しいけど

こういう時には、かならず、連絡をくださる。

熊本地震の時もそうだった。

 

そして、昨日も

「そんれ、その経験がかならず活かされるからね。

 私がそうだったから。かならず活かされるわよ。」と

心強いお言葉をくださった。 感謝しかない。

 

 

蘇る1年前のいまころ。

パニックと恐怖と意識感覚の異常さと

いろんな意識層が同時進行していたように思う。

すべての意識層に光が当てられたまま。

そりゃ、しんどいはずだし、脳にはかなり負担だったはず。