Op. 31 メメントモリ ☆ 夏至を前に

 

1年前、深い意識層に接続していて

意識感覚おかしい中で必死に動いていた頃、

記憶が定かではないが、日本ではじめて

女性で精神科医になった方が

熊本出身だったという情報に接続した。

 

 

ツイッターに情報を残しているので

遡れば、お名前などもわかるのですが。。。(;^_^A

その方は、透視能力があったのだそう。

そして、自死を選んだ。

 

 

同じころ、読み解きとして

私の好きな詩人である

金子みすゞさんの情報にも接続していたのだが

金子みすゞさんも

母の生まれ育った山口県で若くして自死を図った。

 

 

その頃、そういう情報ばかりに接続していた。

自分自身が病気になってしまったのかもしれないという

不安の中にいた。

こんな状態になっている場合じゃないのに。。。

という焦りもあった。

 

 

首絞め感覚も酷くて、

かろうじて呼吸をし、生活が出来ていたのは、

夜中まで話し相手になってくれた大親友の存在と

毎週、娘に母国語を教えてに来てくれてる

幼なじみの存在があったからである。

自分自身がそんな状態なのに

救われない魂たちを救い上げなくては。

と、いまとなっては、

なぜ、そんなことを思ったのかはわからないが

必死に光のあたらない魂たちを救い上げなくては。

と、その一心で、気付けば、ブログ記事を書き続けていた。

 

書いた後、「あれ?なんでこんなこと書いたんだろ。」と

思うこともしばしばあった。

 

 

親友とのLINE会話として記録が残っているが

「もう少しで薬が要らない病気の治療法が完成しそう」

とも、大真面目に、真剣に書き綴っている。

 

いま、読み返すと、なんでこんなこと書いたんだろう。

と、不思議な気持ちになる。(;^_^A

 

さきほど、「愛を込めて」という

手嶋葵さんという方の曲を聴いていると

ふと、その頃のことを思い出した。

 

 

 

 

#メメントモリ 死を想う

 

祖父の死が教えてくれた

私が大切にしていたい生き方である。

 

 

 

 

もし、大切な人が

「死にたい」と言って来たら、

私は、「死ぬな。生きろ。」とは言えないな。

と、ふと、いま思う。

 

人ひとり死んだところで、何も変わらない。

死にたいという人を止める権利が誰にあるのだろうか。

 

言えることがあるとするならば

「私は、悲しくなる」くらいであろうか。

 

 

同時に私は思う。

いずれ死にゆくいのちなのだから

もう少しだけ生きてみたら?って

無責任に言いたくなるだろうな。と。

 

 

 

 

人が人を救えると思うこと自体が

救おうと思うこと自体が

私には傲慢に感じる。

 

誰も誰かを救うことは出来ない。

癒すことも出来ないのである。

 

私がヒーラーという肩書きに違和感を感じるのは

そういう、私自身の思想からである。

 

 

 

 

夏至の足音が近づいてくる。

陽の気が最大となる日とされる。

 

 

アルケミークラスでしたかったことを

この記事ですべて表現出来た気がしている。

 

満足。

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は私のやうに、

地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のやうに

たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、

みんなちがって、みんないい。 

 

# 金子みすゞさんの有名な詩


 

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