op. 026 経験からの「学び」。そして、洞察としての「気付き」。

心理士として、昨年春からここまでの一連の流れの

大きなひとつの区切りをやっと迎えることが出来まして、

この時間枠で体験し学び得た「気付き」を、

個人である私と、心理士としての私を織り交ぜながら

ここに総括的に記録します。

 

ひとつのケースデータとして、

どなたかのお役に立てていると幸いです。

 

 

抑圧の多い感情の上から目線の表裏の乖離は歪さが際立ちます。
歪さを際立たせます。

 

これは、心理を学んだ人でしたら観ればわかるはずです。

あるいは、全うな人としての感覚を持っている人に

その全体図を見せれば同じような反応が返ってくるでしょう。

 

 

 

 

昨年、ある人からFACEBOOKをブロックされたのですが
いま、ようやく、そのことについて納得がいくような気がしています。

納得のいく情報を知れて良かったと思いますし、いろいろしっくりきます。

 

ずっと、自分の中に腑に落ちない違和感が残っていたのですが

いま、ようやく、すとんと腑に落ちていく感覚があります。

 

 

個人的には、そのブロックしてきた方の言動を理解するのが難しく感じて、

混乱することが多く、実際に、そこから精神が錯乱していったのですが

スイスの医師であり錬金術師でもあったパラケルススの魂に導かれるように

私には必要として与えられた出来事だったのだろうと思うことにしています。

 

きっと、その方の言動は、あくまでも「きっかけ」に過ぎず

すべては、私に由るものなのだろうと理解することが

一番、まるく「治まる」気がしているからです。

 

 

「病」を「個」で観る者にとっては、

おそらく「関係性」のなかに在る「病」というものは

無いに等しいのだろうと思います。

 

「無い」世界では、「無い」以外にないのであろうと想像します。

そして、それは、「人は観たいように観ている」ことをあらわします。

 

「無い」世界で「在る」ことを伝えても

おそらく伝わっていかないでしょうし、

一方通行ではコミュニケーションは成り立ちません。

 

「違い」を受け容れ「対話」が成されない所には

「コミュニケーション」というものは存在することが出来ないのです。

 

 

私は、自分の価値観のみで他者を固定的に観たり

自分の価値観と違うものを排除するような陰険さとは無縁のところに居り

毎日、幸せな日々を過ごしておりますが、
そうではない方も想像以上に多いのかなぁ。という風に感じています。

 

今後、「コミュニケーション」はますます重要なキーワードとなってきます。
コミュニケーションの在り方が、どんどん、変わってくるでしょうし
社会が大きな変容を遂げる中で、同じように、

コミュニケーションの形態というものも変わってくるのかもしれません。

 

同じ世界観で生きている人たちが協力し合って
幸せな居場所を創っている方々もおられるようですので
ぜひ、孤独などを感じて、居場所がないと思う時は
ネットで検索すれば、何かしら、どこかしら、
相性の合うコミュニティーというものは、みつかるはずですので

心に元気がなくなった時は、ふと、落ち着けるような

あるいは元気になれるような、あなたにぴったりな「居場所」を
探してみてください。

 

状態に合わせて、幸せ時間を過ごせる場を

いくつか持っておくといいかもしれません。

 

 

 

 

 

この1年は、本当に学びの多い時間枠でした。

はじめて体験することが多く、しんどいことも多かったですが

長い長い、大きな大きな学びのおかげで、

私は、またひとつ、自信を得ることができました。

 

 

 

ジャッジ癖のある人たち、あるいは抑圧が大きい人たちは、

対象を「そのもの」として捉えることなく、自己を「投影」します。

 

そこに個人の価値基準で
反射的に「いい悪い」を判断してしまう傾向があるため

コミュニケーションがスムーズにいかないことが多いのです。

 

そして、その「ジャッジ癖」というものは、

常に「正解」を求められるような「横並び」的な

「教育」を受けてきた人たちのなせる技のひとつなのだろうと想像します。

 

あるいは、多くのこどもたちが持つ
ヒーロー(ヒロイン)への憧れのような

発達段階で処理出来なかった満たされない「万能感」への

執着からくるケースもあるでしょう。

 

 

 

 

そして、人の「病」は、
「化学」では治癒には導けないということを

しみじみと実感していますし、

 

依存を生み出すような対話は「病」を「生み出す」可能性があることを

「療法家」が平然と行っているケースもあるということを知ることが出来まして、

いろいろと思うことがあります。疑問を感じてもいます。

 

おそらく、それに関して、質問した場合、返ってくるものも
いくつか想定は出来ますが。
こういう場合、コミュニケーションはとれませんね。

平行線のままでいたい関係性という場は、疲れるだけですので
個人的には、あまり好きではありませんし、馴染むのにも時間を要します。

 

 

加えて、クライアントの質問に対して

「神」という言葉で返す方もおられるようなのですが

悪質な振興宗教と勘違いされるのではないなのかなぁ。と
大きなお節介を承知で、少し、心配になってしまいました。

 

 

ちなみに、ここでは「宗教」自体を否定している訳ではありません

あくまでも「悪質な」という象徴的な意味として使っております。

 

 

 

 

世の中には、いろんな人がいます。
私もその中のひとりです。
みな違って、誰ひとり、同じとする人はいません。


それぞれに個性があり、

それぞれの観ている世界や観たい世界があります。

これこそがこの世は「多様」であることの証でしょうし

「ひとり宇宙」と言えるのかもしれません。

 

 

そこ(投影)を超えて

「他者」と出会えないでいる世界に住む人たちは

歪な「偏見」や区別とは違う「差別」、

ただの違いを「排除」する行為などからは

卒業することは出来ないような気がしています。

 

そして、それらが「いじめ」のような

「病」と言ってもいいような「陰険なエネルギー」を生むのでしょう。

 

おそらく、そういう輩に何を言っても

「自己責任」などという言葉を巧みに使ってくることが多いのではないかと。

ここまでに私が観察してきた世界での話ではありますがそのように思っています。

 

 

 

このあたりは、「バウンダリー心理学講座」
しつこくしつこくお伝えしてきていますので
受講者や、私のセッションを受けてくださった方には
言わんとすることが伝わっているのではないかと。

 

 

 

 

社会では、「いじめ」のようなものが

想像をはるかに超えた規模で平然と行われているのかなぁ。

と、ふと思うことも多い1年でした。

 

ここから、そのカタチも、おそらく多様化してくるはずです。

そして、より歪になっていく場もあるのだろうと想像します。

今後、このようなケースはますます増える可能性がありますし

すでに、そういうことを痛感している人たちも多いようです。

 

 

ぜひ、幸せなコミュニケーションを心がけてください。
ひとりひとりの想いが幸せな世界を創ります。

 

 

 

 

私は、今回の大きな大きな学びから得たものは

今後、「仕事」を通して、

あるいは、セラピストを目指しているような後進との出逢いがあった時に

活かせるといいなぁ。と、思っています。

この1年、記録してきたものは、すべてテキストとなっております。
すべて公開しておりますので、どうぞ、幸せなコミュニケーションを図るための
きっかけづくりとしてご活用くださいませ。

 

記事を読みながら、違和感を感じることは

その「違和感」を大切になさってください。
そこに、あなたの大切にしていたい「価値観」があるかもしれません。

 

 

 

 

 

#そんれのセラピスト道

#心理士

#アーティスティックセラピスト

 

#ブラッシュアップクラス☆テキスト

ひとりでも多くの方が

幸せな日々をお過ごしでありますように・・・☆

 

ひとりでも多くのこどもたちが

幸せに生きていける方へと
世界が動いていますように・・・☆


 

 DIALOGUE+DIARY

「プシュケダイアリーの楽しみ方」

 

この場のすべてが

「 宇宙(超)意識 」「 集合(無)意識 」からの

メッセージとなっております。

 

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