op. 0923-2020-04 からだは無限大の可能性を秘めたネットワーク

センスが際立つ友人からメッセージをもらった。

アクアドロップス時代のロゴをデザインしてくれた後輩である。

彼女から学んだことも多い。

 

ふとした時に連絡をくれる。

そのタイミングが絶妙である。

こういうのもセンスが成せる技なのだろうと思う。

 

ありがたい。

 

 

 

 

神経過敏になり過ぎている時は

繊細さの嬉しくない側面が際立つ反面

何気ない日常のひとこまに

感謝せずにはいられないという場面が増えるという

褒美的な時間も増える。

 

先日、自分のためだけにリンゴを買いに行く途中

涙があふれ出そうになった。

だいぶ、病んでるな。と思いつつ、泣ける自分で良かったとも思う。

 

感性だけは鈍っていない。って思えるのは

私にとっては、生きている証なのである。

 

とか、書くと、大袈裟かもしれないけど

実際、そうであるから、そうとしか書けない。

 

 

 

 

40代に突入し、

ホルモンバランスの変化もあるのかなぁ。って思うと

なんともいえない。。。

全然、嬉しくない。。。(-_-)

 

 

 

 

更年期って嫌な響き。。。(-_-;)

その域に達してしまったのか。。。と思うと

がっくし過ぎる。。。涙

 

こういう時は、ローズとかジャスミン、それからネロリのような

ゴージャスな花々のエネルギーを享受するに限る。

高かったとか、そういう邪念は消すに限る。

こういう時のために、手元にあるのだから。たぶん。

 

 

WOTE社のロータスの精油も欲しいのです。

こうなったら、器の大きい紳士が現れてくれることを

真剣にココロの底から祈願する他、ありません。たぶん。

 

想念は具現化するそうですから、

念ずれば紳士が目の前に居た!ということも可能性としては

ゼロではないはずだと言い聞かせることにします。

 

 

 

 

またタイトルから遠ざかってしまいましたが

からだというのは、巨大なネットワークの世界よりも

精妙でそれはそれは素晴らしくデザインされている

この世で最も美しいものではなかろうか。とか思うのですが。

 

その「からだの美しさ」は、頭だけで生きている時間には

とても感じる事の出来ない、

からだ全体で生きている時間にこそ感じられるもの。

って、私は思っています。

 

頭だけで動くと、大抵、妙な方向に進みます。

っていうか、世の中の頭でかち観てたら

そんな風にしか観えない。

あくまでも、私の主観ではありますが。

 

 

 

 

養生中のセラピストが

底の底まで落ちて、これ以上、

落ち方がわからないというとこまで堕ちぶれて

 

それでも「いのち」には「生きよう」とする叡智が

内在しているのだということを

ここに日記的に記録しておくことで

どなたかの生きる力に繋がるといいなぁ。と思いながら

ブログを再開できていることが、嬉しい。(^^♪

 

私は、表現したい人みたいです。

知りませんでした。(/・ω・)/

 

 

 

 

理想とするセラピスト像とは

どんどん、かけ離れていて、がっくし過ぎるけど

仕方ない。これが、私である。

 

それでも理想を手放せずに

そこを目指そうとする、あきらめが悪いのも私である。

なかなかの執念深さにびっくりするけど。(/・ω・)/

 

とりあえず、神経さんたちが

もう少し、落ち着いてくれることを待つほかない。

こんな状態で、セッションなんてやってられない。

自分自身が養生真っ只中。。。(◎_◎;)

 

 

 

 

きれいに生きることも

器用に生きることも出来ないけど

これが私である。

 

そして、不器用で何が悪い。とも思っている。

ソツなくこなしてるように見えて、

生き方が腐ってる人たちよりはマシである。

 

 

 

私は、私以外にはなれない。

誰もがそうであるように。

 

#好きな作曲家

#加古隆さん

 


 

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