
「一部を観ると全体がわかる」という
「フラクタル」という観方がある。
昨年(2019年)、「自然療法」を謳っている
あるコースに参加した。
そこに通いだして、意識がおかしくなり始めた。
☆
テキストを読みなおしてみた。
昨年のコースに参加した時からここまでの一連の流れを
冷静に冷徹に振り返ってみて
主催している人が、(私から観ると)
ぐっちゃぐちゃな内的世界を
生きているということがよくわかる。
そんな風に、
心理士として「見立て」ている。
あくまでも「見立て」ではありますが。
☆
私は、簡単に、主観だけで瞬時に
人を決めつけたりはしない。
昨年、同時期に、
妹が、その人の「健康相談」を何度か受けていた。
冷静になって、どんなセッションだったかを聞いてみた。
素人でも出来るやり方だな。
と、正直、思っている。
処方された「薬」に「替わる」ものらしい
液体の「処方箋」を見せてもらった。
妹が実際に効果を感じたのは、自分でネット上で検索した
「薬」に「替わる」ものだった。
☆
これが何を意味するのか。を、「療法家」を名乗る
「自然療法」あるいは、「ホリスティック」を謳う
奇妙な、ある一部の世界に浸っている人たちの
何割が理解するのだろうか。理解しているのだろうか。
理解「出来る」のだろうか。
日本の実態を知るのに、充分すぎる
昨年からの時間枠であった。と、いまここに来て
ようやく、言い切ることが出来る。
治癒に向けて
あるいは、心身のサポートをするプロたちの在り様と
その技術の質の低さと人間性を垣間見れた
1年ちょっとという特別な時間枠。
☆
人が「主観」から離れることはない。
それでも限りなく「客観」の近くにいることは出来る。
どうやら、この世で生きていくには
猛毒を携えて、
それをばら撒くくらいがちょうどいいらしい。
それを、私は、昨年参加したコースの
「すごい」先生から教わった気がしている。

ぜひ、こちらも併せてお読みください。
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