op. 1009-2020 こども時代に「ケンカ」をすることの大切さ

 

私のこども時代と、現在、娘がいる環境は

全然、違う。

 

それは「家庭」において。という意味でも

通っている「学校」のコンセプトも「社会」の実態も。

 

 

 

 

「いまの子たち」とか言うようになった時点で

「おばさん」と呼ぶのに

ふさわしい年齢になったことを痛感しますが。(;゚Д゚)

 

 

あくまでも、私が観察してきた小さな小さな世界での

「傾向として」という限定的な話ではありますが

こどもたちに「ケンカ」の体験が足りていないように、私からは観える。

 

それは、環境が要因であるところも大きいし

おとなたちが介入し過ぎているところも大きいのではないかと。

 

 

 

 

個人的には

「ケンカ」と「イジメ」は違うように思うのですが

その境を明確化することは出来ないし、

その時々の状況にもよるから

明確な定義というのも難しいですが。

 

そもそも、「ケンカ」も「イジメ」も

「私」と「誰か」あるいは「人間以外の何か」という

関係性の上で成り立つことが、ほぼほぼなので

両者の関係性や、気質などから、

 

同じ状況によっても

それと感じるのは、人に因るのだと思いますが。

 

 

 

 

幼少期に「健全」な「遊び」の中で

「ケンカ」の体験をたくさん積んだ子というのは

人との関わり方を、遊びの中で

たくさん学んでいるということが出来ると、私は思っていて、

 

それは、「関係性を生きる」という大切な学びの時期である。

とも、言えるのではないかと。

 

 

私自身が、そういう価値観で生きているので

基本、こどもたちが、ケンカを始めても、そこに介入することはない。

「見守り」という名の「観察」をすることはあっても。

 

大抵、こどもたちのケンカが始まると

セットメニューかのように、超絶、騒がしくなるので

それが、ストレスになる時は、

「あっち行ってしてくれない?」と言うか、その場を離れます。

 

 

 

 

「ケンカ」=「悪」という図式が

こびりついている人たちは多い。

 

わかりやすいのは救いようがある。

と思っている私は

 

「不良がいた」と、意気揚々に

正義感たっぷりに言ってる人に出会うと

「へー、そうなんだ。」と聞き流すようにしている。

 

だから何?それで?

って、正直、思っているから。

 

 

 

 

そういうことを意気揚々と話す人って

「正解」が大好きな人たちに多い傾向にあるように思います。

 

人を見下す発言をしていることに気付いてない。

ように、私からは観えてしまう。

あははー。と笑いながら、流してますけど。

 

 

そういう人たちとは関わりたくないと

個人的には思っていますが

「おともだち」大好き人間である娘が

その人のこどもの話をすることも多々あるので

そこは区別して、繋がってたりもしてたけど

そういうのも、もう、いいな。って感じがしています。

 

 

 

 

私は、「愚痴」は「悪い」ことではないし

言いたくなることってあるよね!って思っている人間なので

そこに、「してはいけないこと」という制限をかけていないのです。

 

それが嫌な人は、距離を置けばいいだけの話で

誰彼と「仲良く」しなければいけない。とも思っていません。

 

 

 

 

娘にも、そのように伝えていて、何でも話し合うし

それが聞けない状態の時は、そう伝えるし

ラジオ動画を観てくださった方でしたら、

わっかりやすくお気づきだと思いますが

 

職業上では「聴く」に重きを置いている人が

プライベートでは、

「傾聴」って何ですか?な所を謳歌しています。

 

 

 

 

「こうじゃないといけない」

「こういうものでしょ」という「思い込み」が

強力に固定されてる人たちとは、

 

話をしてても、会話が弾まないし

そもそも「会話」が成り立たないように思っていて

楽しくない世界に長居するのは、

苦痛でしかないな。って思います。

 

 

 

 

「対話」とは、「自他の尊重」の上でしか成り立たず

それは、人を物のようにしか扱えない人たちとは

天地がひっくり返っても、不可能に近いんだな。ってことも

ここまでの人生経験から、「確信」に近い感じで

「気付き」を得たような気がしています。

 

 

 


 

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