op. 1018-2020-04 自分を信じるという生き方のすすめ

 

大学卒業後、セラピストになって

ずっと、変わらずに伝えたいことのひとつに

「自己信頼」がある。

 

それは、それまでに観てきた人たちから

ある種の学びを得たからに他ならない。

 

自分が自分を信じずに

誰があなたを信じるの!っていう

世界でしか生きてきていない。

 

 

 

 

それは、経験によって得られる

「自信」とはまた別の

もっと、いのちの根源的な部分での話で

 

私は、「自信」にも種類があると思っていて

「私が私に生まれてきて良かった!」って思えるような

「生きていて良かった!」って思えるようなものと

 

私の場合だったら、「セラピスト」として

少しずつ、経験を積み重ねることでしか

得ることの出来ない「自信」と。

 

 

 

 

人を信じることが出来ない人は

自分を信じていない人って思っていたけど

それは、そのように育ててくれた両親のおかげなんだな。

ということが、歳を重ねるにつれて、よりわかるようになって

 

幼少期に「裏切り」のような経験を多くしてきた人には

「人を信じる」ということが難しく感じるようで

その壁を取っ払うのに自分でそうすると決めて取っ払った。

っていう話を、最近、聞くことがあったのですが。

 

 

 

 

ハートをオープンにしている。

って、生きていく上で、とても大切なことなんじゃないか。

って思っているのです。

 

そうじゃないと、「感性」は閉じたままになりますし

「感覚」だって鈍ってしまうような気がしてしまうのですが。

 

 

 

 

チャクラと言って、東洋医学でいうところの「ツボ」のような

観方があって、ご存知の方も多いとは思いますが。

 

チャクラには、主要チャクラが7つあると言われていて

その中でも、中心に位置する、ちょうど「胸腺」がある場所が

4チャクラにあたります。

 

 

ここは、「ハートチャクラ」とも言われていて

日本人は、閉じている人が多いっていう見解をよく見聞きします。

 

これは、私もわかるなぁ。って思っていて

海に囲まれた島国で、他国から身を守るために

閉じることをせざるを得なかった

時代的な背景もあるのかもしれないなぁ。って。

 

逃げたくても、大陸のように、領域がないから

そこで生きていくには、生き延びていくには

「タテマエ」がないことには、

いのちを守れなかったのかもしれないなぁ。

って思っているのですが。

 

 

 

 

私は、日本で生まれ育ってはいるのですが

生まれた時から、「在日コリアンコミュニティー」という

日本では特殊なコミュニティーで守り抜かれて育ったのと

民族的に受け継いだ大陸の血のようなものもあるのかもしれませんが

 

人を疑うという習慣がないですし

人を騙すか利用するとかっていう考えが浮かばないですし

出会う人は、みんな、いい人くらいにしか思っていなくて。www

 

 

ですが、時々、残念だなぁ。

と思うような出来事もあったりして

大抵、途中で、「あれ?」っていう

違和感が教えてくれるのですが。www

 

 

世界を疑ってばかりいたら

人を穿った視点でしか観れなくなったら

それは「幸せ」から、かけ離れていくなぁ。って

経験的に、そう思うのです。

 

私は、40年生きてきて、

「不幸」と思ったことは一度もないですし

あまり「不足感」というものを感じたこともありません。

 

 

それは、両親のおかげが大きいと

頭が上がらない想いでいますが、

 

それとは別に、親世代から受け継いだものにも

こどもたちに渡していきたいものと

こどもたちには渡したくないものとがあって

 

生まれ育った環境やこれまでに出会った方々に

感謝の気持ちがあると同時に

そこから、反面教師的に学んだことも多く

そこは、私なりにアレンジして、娘に「生きる」のエッセンスを

伝えていきたいなぁ。と、思っています。

 

 

 

 

何を基準にするかは人それぞれですが

上を観えればキリがなく、下を観てもキリがなく

それぞれが、それぞれの立ち位置で

自分が出来ることに徹することが、

 

こどもたちが幸せに生きていける

世界を創る一歩につながるんじゃないか。って信じて

ここまで「セラピスト」としての

仕事を細々と続けてきていますが

 

自分しか観えていない「我欲」という「投影の世界」を

色濃く生きている人たちの多さに

時々、げんなりしてしまうことがあります。

 

 

 

 

「啓蒙」している人たちが

そんなに立派に生きてんの?って思うことは多いし

上から目線の差別主義を生きてる人が支持される日本で

「多様性」を謳ったところで、

何ひとつ、変わっていかないように思います。

 

「お勉強」が好きな人たちの世界は

私には、ただの「頭でかち」にしか観えず、

この世が「関係性の上でしか成り立たない」ことすらも

理解できない人たちとは、どんなに立派な立ち位置に居ても

どんなにすばらしいことを発信していても

 

所詮、「お偉いさんたちの戯言」にしか観えないなぁ。

って、思っています。

 

 

同時に、そういうのがわかっている人たちは「謙虚」に

口を閉ざすことが多い中で、

軸がぶれることなく「発信し続けている」人たちを

凄いなぁ。とも、思っています。

私が大切にしたい世界は

どこかの協会に属していては、

どこかの団体に属していては創れない世界であり、

 

「こころ」を大切にしている人たちとしか

「自他の尊重」を、細胞レベルで知っている人たちとしか

創っていけない世界だなぁ。

 

って、昨年からの、濃い濃い時間たちを振り返りながら

あらためて、いま、そんな風に思います。

 

 

 

 

私は「病」を生きる人たちとは

手を取り合うことが出来ません。

それは「病気」と診断された人たちのことではありません。

 

 

私がいう「病を生きる」人というのは

生命体の最も上位に位置している

「精神性(スピリチュアリティ)」

放棄した人たちのことを言っています。

 

「たましいを生きる」ことを

「忘れた」人たちのことを言っています。

 

「我欲」を超えられない

稚拙な人たちのことを言っています。

#プシュケ☆セレクト

 


 

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