op. 1023-2020-02 サンドバックという役割

 

 

自己対話を知らない場に

ひとり自己対話をするものが居ると

それはサンドバックのような役割を背負うこととなる。

 

それは、「家族」という社会の中で

「社会」という枠組みの中で。

 

時に「学び」という場で。

「師」という演者の「暴君」によって。

 

 

 

 

無知の知を

知らないものほど

知を誇示する。

 

華で在りたい人ほど

草を引き寄せる。

 

 

君主で在りたい者ほど

和を乱し和を謳う。

  

歪んだ鏡が好きな

被害者意識という加害者。

 

 

 

抑圧した感情が毒をまき散らし

争いの根を隠し持ってるものが

個を潰すし事なきこととする。

 

我欲が無欲を侵し

病は更なる病を量産する。

 

陰湿さが隠者となり

賢者と奉られる。

 

 

 

 

識者は語ることを放棄し

賢者は沈黙を保持する。

 

自己責任を押し付ける無責任。

対話なき暴力。

 

演者という曲者。

歪曲された事実。

 

 

人真似という泥棒。

病みだらけの療法。

病人好きな集団。

 

 

 

サングラス好きは、

世界が黒く診えるのであろう。

サングラスを外して

はじめて世界はその色として観えるというのに。

 

 

 

 

  

以上は、

ここまでに私が観てきた「社会」であり、

私が体験した「事実」の「表現」である。

 

 

 

 

 

 

私にとって生きる喜びとは

生きていくことの光と闇を抱えた先に

在るものである。

 

そして、私は常に喜びと共にある。

生きている。という意味で。

 

 

主観の強い者からの助言は

不要である。毒素でしかない。

 

 

 

 

 

#表現者は語る

#アーティスティックセラピスト

 

 


 

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