#26 批評家ではなく表現者として、あるいはセラピストとして。

 

 
母が30代の頃、好んで着ていた

ファッションブランドのひとつである
YOJI YAMAMOTOの創始者、
山本耀司さんの書籍を購入したままになっていて
さらっと読み流した。

ある箇所に目が止まる。
そこには「表現者は壊すもの」とあった。
そうなんだ。と思う私がいた。

あ、これでよかったんだ。
って、思える私がいてよかった。
と、心底、思う。

深い安堵感に包まれる想いである。
生き方がかっこいい人に憧れる私は
生き方がかっこいいと思う人の言葉には
影響されやすい。

細胞の隅々まで、
そのエッセンスを取り込みたくなる。




この2年間、前に進むために選んだそれが
いまの私には破壊的な結果でしかなく
心身の異常な感覚が2年弱。
初めて経験する怪奇現象に身体感覚。

原因を探せば、すべてを原因とすることが出来る。
その可能性として。

盲腸手術前後の強い鎮痛剤の副作用が引き金となったと
考えることも出来るし、
地震後のトラウマとも捉えることが出来るし
もっと以前のそれとも考えられ得る。

病気と診断された場合、
根治を考えると生き方の問題となる。
それは、食べ物かもしれないし、食べ方なのかもしれないし
住まいの環境かもしれないし、
精神的ストレスの過多によるものかもしれない。


症状を緩和するための薬や
それに代わる、自然療法含む
いわゆる民間療法的な類のモノは
一時的な緩和でしかないけれど
そこに頼ることで日常の暮らしを営むことが出来る。
というケースは多い。

何にも頼らないということは
衣類を身に付けず、裸一貫で生きている
孤高な動物としか存在し得ないのではないか。と思う。

私は、多いに頼ればいいと思う。
それが可能な限りは。


過去に利用していた
ブログサイトでも綴った記憶があるが
依存は何も悪ではない。
依存していない人はいない。


人は独りでは生きてはいない。
だからこその自他の尊重が何よりも大切だと
私は思っている。

山本耀司さんがピカソのようには生きていないと
本の中で言っておられた。
私は、その生き方にとても共感する。

自分さえよければいいという生き方ではなく
全部主義。と、表現されていた。
私も、感覚としては近い所で生きている感じがある。
耀司さんの足元には到底及ばないけど。

こういう時間は、
あ、これでよかったんだな。って
自己受容できる瞬間である。
それは、自己信頼の上にある。という意味での。

 

 

 

(2021年1月5日投稿)

note ブログより転載)

 

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