
「私」という一人の人間が話す言葉を聞いていても
そこへの反応は様々である。
何かを発信する時は、呼吸を落ち着けて、
あらゆる読者層を意識し
自らの言葉が諸刃の刃にならないよう意識してきた。
2019年春からここまでは
その逆を書き連ねてきたことになる。
紙媒体でのノートとオンライン上でのそれは
ただのツールの違いである。と私は思っている。
いかように使おうともその自由が個々の手にある。
そして、その自由には責任が伴う。
イジメと呼ばれるそれらは、
時代と共にその実態も変化する。
時代と共に光と闇の実態も変化する。
どんな言葉もある人にとっては毒となり
ある人にとっては薬となる。
この世には、「異端」が存在する。
この世には「奇形」が存在する。
マイノリティ―も、どの立ち位置で観るかで
それがマジョリティーにもなり得る。
そして、わたしたち誰もがマイノリティーである。
ひとりひとり、みな違うように。
そして、わたしたちは、「みな違う」という
「同じ」時を生きている。

過去に投稿していて恐怖心のあまり閉じていた中から
クリスタルボウル演奏の動画を発見し、ひらきました。
必死に動いていた頃の動画をようやく恐怖心なく
見返せるようになりました。
