#45 生は「動」と「静」の繰り返し

 

 

☆はじめましての方へ☆

 

➡ 自己紹介

➡ まずは、こちらの記事をどうぞ♡ 

いのちはそれぞれ

固有のリズムで成り立っています。

それぞれのリズムが響き合って

この世は成り立っています。

 

 

日々、生活していると

自分のリズムではいられない時間。

というものもありますが

 

いのちは、かならず、そのリズムに

戻ろうと還ろうという働きをします。

すべては自然の働きの上に成り立っています。

 

 

 

日々、生きていると

楽しいことばかりではありません。

悲しいことも苦しいこともあります。

 

自由に動ける時も

自由を感じない時もあるかもしれません。

 

 

 

同じ日に、同じ場所で過ごしても

人それぞれに考えることも感じることも

観ていることも違います。

「ちがい」を知るための比較と

「優劣」をつけるための比較と

「正誤」を判断するための比較は

「おなじ」比較でも「ちがい」ますよね。

 

文字は、文字でしかないなぁ。

と思うことがあります。

ことばは、ことばでしかないなぁ。

と思うことがあります。

 

 

そのことばにこころが

揺さぶられることがあります。

その揺さぶりが「わたし」だなぁ。

と思うことがあります。

 

 

 

 

時代のスピード感に合わせよう合わせようと

必死に動いた、動かざるを得なかった2019年。

 

恐怖のどん底まで墜ちて、

これ以上の廃人の成り方がわからない。

というところまで堕ちぶれた2020年。

 

台風一過のような時間枠が過ぎると

あれ?この2年間はなんだったのだろうか。

と、ふと、思う私がいます。

 

 

 

目の前の生活は何も変わりません。

人間関係はごっそりと清算されました。

晴れやかな穏やかな陽気な日々が

少しずつ少しずつ戻りつつあります。

 

人は「緊急事態」には

「火事場の馬鹿力」を発揮します。

 

いのちは「生きよう」とする方向に働きます。

それを阻むのは「あたま」なのかな。と

時々、ふと思います。

 

 

 

「あたま」がフル稼働していると

「感じる」力は比例するように劣化するか

 

あるいは「思考」と「感性」が

フル回転の状態が長らく続いている場合

それが難なく続く時には「フロー状態」にあり

それが苦難となった時は「ストレス過多」にあるのだなぁ。

 

ふと、過去の一連の流れを振り返りながら

あらためて、そう思う私がいます。

 

 

時代が大きく変わる時というのは

大荒れ注意報があらゆる形であらゆる場面で

明示されていきますね。

同じく、そこには同量の暗示があるのでしょうね。

 

もうすぐ節分。そして春分。

春は2番目に好きな季節です。

 

 

 

もともと、つながりをあまり必要としない人が

頭だけでつながろうとすると

どうしてもそこには無理があってストレスになりますね。

 

無理があるのは続かないなぁ。って思います。

そうは言ってられない時もありますが。

 

 

 

何度も何度も同じようなことを繰り返し

書き続けている気がしないでもないのですが。。。(;^_^A

 

欲求を抑えると病気になるので。。。w

書きたい時に書きたいように書いています。

 

誰が読んでいるのかわからない世界で

読み手を想像していると無限に広がって

何も書けなくなるなぁ。って思います。

 

 

ネット世界での交流が主流になっていくのかは

それぞれのライフスタイルにもよるのでしょうが

私が人と関わる時は、リアルな場を共有したいなぁ。

と、あらためて、思います。

 

ネットの世界って、信用できないので。w

 

 

 

人を疑ったり信頼しない習慣がないので

痛い目合うことも多々ありますが

 

そういう時というのは、

関わる人をまちがうな!という

いのちからの警告だなぁ。って毎度毎度、思います。

 

なんか、生命力ってすごいなぁ。って

こういうことを考える度に感動します。

しょっちゅう、感動してます。( ̄▽ ̄)

【お知らせ】

 

➡ 個人セッション

➡ 講座・ワークショップ